高井戸の歴史

江戸時代

慶長5年(1601)徳川幕府により高井戸の南側に甲府から江戸に通じる甲州街道が開設され、その後高井戸に宿場がおかれた。高井戸宿は月の一日から15日までを下高井戸村、16日から月末までを上高井戸村の名主が勤め馬25頭、人足25人が常置されていた。江戸から最初の宿場であったため24軒の旅籠屋を始め酒屋などが軒を連ね賑わっていましたが、のち新宿に宿場がおかれたため、その面影は次第に薄れたようである。

江戸の初期、住民は神田上水と赤坂溜池の水を飲料水としていたが、人口が増えるにつれ幕府は水不足を懸念し、多摩川からの引水を計画し、当時開削工事に精通している、庄右衛門、清右衛門(後の玉川兄弟)に開削を命じ、承応2年(1653)玉川上水として完成。玉川上水は江戸三大用水の一つで多摩川は村を起点として小金井、三鷹から当地に入り、久我山から下高井戸まで高井戸を東西に貫き、四谷見附に達し江戸城と赤坂見附から京橋方面に給水していた。小金井堤の桜は有名ですが、当地でも文化年間上水に沿って桜が植えられ、終戦直後まで高井戸堤として桜の名所であった。

玉川上水は江戸市民飲料水という本来の目的以外、武蔵野台地の村々に生活用水、農業用水を供給し、多くの新田が開発されました。大宮前新田(現在の宮前地区)もその一つで万治年間(1656~1660)にできたものです。

明治時代

明治以後の行政区画変遷などのあらましは次のよう。

  • 元年:武蔵知県事に属し後品川県編入
  • 4年:東京府に編入
  • 5年5月:神奈川県に編入
  • 5年9月:東京府に再編入
  • 6年:大区小区制により「上高井戸村、下高井戸久我山村、大宮前新田、中高井戸村松庵村」は第8区小6区制となる
  • 11年11月:群区町村編成法が布かれ、東京府東多摩郡に編入
  • 12年3月:東京府数町村連合会規則で2カ村連合(上高井戸村、下高井戸村)4カ村連合(大宮前新田、中高井戸村、久我山村、松庵村)となり、名主制度から戸長制度と変わり、それぞれ戸長役場が、上高井戸村、大宮前新田におかれた
  • 22年:改革で2カ村連合、4カ村連合が合併して新しく高井戸が誕生。大字は旧村名を継承。同時に戸長制から村長制になり、村役場が現在の高井戸西2-16におかれた
  • 24年:明治初年に設けられた高泉、郊西の2つの学校が合併した高井戸尋常小学校(現在の高井戸小学校)が現在地に開校。村役場と小学校はわずか300メートルしか離れておらず、村役場の付近が高井戸の中心地だった
  • 29年4月1日:東多摩郡と南豊島郡が合併、豊多摩郡となる

この時代は純農村地帯で畑では茶や藍などが栽培され養蚕も行われていた。水田では直接田に巻きつける摘田(直播)も一部で行われていました。神田川に沿った現在の高井戸東3丁目、西2・3丁目地区は洪積層でその土質が杉の生育に適していたため杉丸太の生産が盛んに行われていた。皇太子殿下の絨毯は高井戸で生産された杉の献上によるもの。

大正から昭和にかけて

東京の人口が増えるにつれて、高井戸地域は近郊農村地帯として野菜類が盛んに栽培されるようになった。関東大震災後は人口流入が激しく、高井戸村の大正10年と15年の人口比は2倍で、7843人に達した。大正15年町制が布かれ、高井戸町となり昭和7年東京市政改革で高井戸町、杉並町、和田掘町、井荻町が合併、杉並区が誕生。高井戸町は上高井戸1~5丁目、下高井戸1~4丁目、久我山1~3丁目、大宮前1~6丁目、西高井戸1~2丁目、松庵南町、北町となり、高井戸町役場も廃止統合された。昭和8年、高井戸のほぼ中心を東西に走る井の頭線(当時は帝都電車)が開通されるとともに次第に住民が増え田園都市の様相を呈してきた。しかし昭和12年、シナ事変が勃発し第2次世界大戦を経て終戦直後の混乱期までは人口増加が少なく食料不足のため農業が盛んに行われていた。

この頃まで井の頭を水源とする神田川は清らかで、フナ、コイ、タナゴ、エビ、ウナギ、ドジョウ、タニシ等が生息し、春はセリ、ナズナなどの七草摘みやレンゲ摘み夏にかけては蛍が飛びかい、カエルの鳴き声、黄金いろの田んぼでのいなご取りなど豊かな自然に恵まれていた。朝鮮動乱以降、経済の発展とともに都市化の波が急激に押し寄せ、高井戸都営団地の建設が始まったのは昭和34年。

現代

昭和37年住居表示に関する法律施行により、区内の町名改正地番整理が進み、昔の高井戸は現在、上高井戸1~3丁目、高井戸東1~4丁目、高井戸西1~3丁目、下高井戸1~4丁目、浜田山1~4丁目、久我山1~5丁目、宮前1~5丁目、松庵1~3丁目の新町名になった。

高井戸は東西を結ぶ井の頭線、京王線、南北に通じる道路網とともにバス路線も整い交通機関にも恵まれている。ここ数年は人口増は落ち着きを見せているが、都会としては緑が多く保存され、適当な空間も見受けられ比較的恵まれた住環境が保たれていることは、杉並区の基本構想に掲げられている「緑豊かな福祉文化都市」にふさわしい姿である。

©2017 まちいく

Log in with your credentials

Forgot your details?