杉並区の伝説の地など

明治天皇小休所(荻窪4-30-1)

旧中田村右衛門邸。明治16年4月16日、埼玉県飯能付近で行われた近衛師団の演習統監の折り、また23日小金井観桜会の折りに小休所として利用されたところ。昭和9年文部省の史跡に指定され、戦後解除されました。昭和62年、ビル建設に伴い、敷地の南側に移築、復元された。

大宮前庚申の藤(宮前1-17-24)

昭和5年東京府天然記念物に指定され、昭和43年には解除されました。昭和9年の調査報告では、”3本の藤は延宝年間に植樹したものと言い、太さ4尺、高さ10間、地上5.6尺に垂れ傘形をなし、他に比類なき自然形の巨木なり”とある。かたわりに延宝、元禄の庚申塔がある。

十三塚

もと救世軍療養所(現救世軍ブース記念病院)の北にありましたが、今は高円寺墓地(和田2-13-3)に石碑のみがあります。「新編武蔵風土記稿」に「東円寺の北のほうにあり、即ちこの寺の持なり。其の中西によりたるは頗る大なり。高さ4尺許余は何れも高さ2尺余、その由来を詳にせず」とある。地元では、中世の合戦の際の墓だと伝えているが、定かではない。

鎌倉街道

区内には鎌倉街道と呼ばれる道は数本あるが、今は道筋も変わり、詳細は不明。しかし、江戸時代の『新編武蔵風土紀稿』の八幡社(大宮八幡宮)の惣門の項には、「面した道は古への鎌倉街道なり」と書かれている。浜田山駅の南、神田上水(神田川)には、今も鎌倉橋があることから、ここを通る道も鎌倉街道と呼ばれていたことが想像される。

和泉焔硝蔵跡(永福1-8)

明治大学と築地本願寺和田掘廟所の敷地のところに、江戸幕府の焔硝蔵があった。維新後に陸軍省の火薬庫となったが、大正10年に廃止された。『新編武蔵風土紀稿』には、「御鉄砲玉薬同心3人ここに住して御蔵を守れり・・・・・・御蔵地2町2段9畝5歩」とある。

桃園の旧地(高円寺南4-18-11)

高円寺境内は、江戸時代初期、桃の樹が多く将軍から地名を桃園とするようにとの沙汰があったところ。

矢倉台

屋倉とも書き、今の荻窪団地の東、共立女子大寮の辺りに成宗村の小名としてあった。善福寺川には、屋倉橋が今も架かっている。『新編武蔵風土紀稿』に「伝え云ふ鎌倉時代より陣屋櫓のありしを、其後大田道灌の持となり・・・、道灌滅亡にいたりて廃したりと、或いは伝ふ、成宗が柵跡なりと・・・」とあり、現在、遺構らしいものもなく、伝説だけが残っている。

善福寺・万福寺

善福寺池の辺りには、善福寺・万福寺の二寺があったといわれている。『新編武蔵風土紀稿』に「土人云ふ、往古は善福寺・万福寺とて2ケ寺ありしが、いつの頃か廃絶して今はその後さえもしれず、そのうち善福寺は当初向かひの小高き丘の上にありしにや・・・・・・先年大いに地震せし時、池水溢れいで堂宇これがために破壊に及びしか。遂に再修に及ばず・・・・・・」とあり、井草八幡宮所蔵の縁起(江戸時代)にも二寺の名が載っている。しかし、遺構遺物はなく、文献にも確かなものはない。(現在の善福寺4丁目にある「善福寺」とは異なるもの。)

美濃山

井草八幡宮の西方に、美濃山といわれるところがある。松・柏が繁茂して、善福寺川が南西を流れる。松平美濃守の陣地跡とされている。

道灌山

井草4・5丁目にあり、大田道灌が石神井城を本拠としていた豊島泰経を攻めるとき、陣をしき、夜、付近に火を放ちこれを落としたと伝えられている。

おこり塚

長左衛門原といわれていた原の中央に小塚があった(桃井1丁目付近)。大田氏と豊島氏が戦った時の戦死者を葬り、鎧、兜、刀、槍などが埋められたと言い伝えられるところで、掘ると「おこり」(熱病)になるという迷信があった。あるいは、古墳かも知れない。

片目の魚

医王寺(上高井戸1-27-15)の本尊薬師如来は眼疾に霊験が多く、祈願者が魚を一匹持参して池に放すと、いつの間にか身代わりとなって片目になるとの言い伝えがあった。片目の魚の話は国中にあり、神仏の好むもの、供え物の目印と信じられたことから起き、伝説の中には民俗信仰が根強く生きている。池は甲州街道のすぐ北、境内の隣にある。

一里塚

下高井戸1丁目41番地先は、日本橋からちょうど4里で、甲州街道わきに一里塚があったが、明治末年、街道の拡張に伴い、整理されてしまった。

道灌槇

荻窪八幡神社(上荻4-19-2)の社頭に道灌槇がある。文明9年3月13日大田道灌は江戸城を発進、平塚城(滝野川)を征し、石神井城を攻略するにあたって本社前で戦勝を祈願、軍人祭を行い、槇樹を植栽したといわれている。

さいかちの樹

区役所前に、里程指標として植えられたと伝えられるさいかちの巨木があったが、昭和9年、暴風により折損した。後に青梅街道の拡張に伴い、後退移植したが、同14年に枯れてしまった。その後、里程樹の記念として植えた2代目のさいかちも病気となった。現在のさいかちはこの由来を後世に残すべく、新たに植えられたもの。

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