高円寺

音楽とフーテンの街?若いやつらはここに集結

ミュージシャンの集う街高円寺

高円寺といえば、やはり「音楽」を連想する人は多いだろう。40代以上なら吉田拓郎の「高円寺」というそのものズバリの曲を思い浮かべるかもしれない。また30代くらいなら、コアなパンクミュージックやハードロック、現在の事情もわかっている人間なら、「別に何でもやっているでしょ」と答えるだろう。

そのくらい、高円寺は音楽が盛んな土地なのだ。そして、それを求めて有象無象の若者が集まってくる。高円寺にはそんなイメージがあるのではなかろうか。

それをよく示すのが、中古レコード店の数と質だ。高円寺の中古レコード店は、なにかのジャンル専門店が多い。それも、レゲエ、ジャズ、ロック、ブラックミュージック、ハードコア、インディペンデントなど、そこらの店舗では売ってなく、ネット上で探してもそうそう見つからないようなものが平然とおいてある、マニアックな品ぞろえの店だ。

「レコード」という言葉、「音楽など音声を記録した媒体」のことであり、今であればほとんど「CD」をさす言葉となっているが、高円寺にはCD以前のアナログ版を専門に扱っている店も多い。それも、50~60年代の洋盤を主に置いていたり、とかかなりのレア盤が手に入る店もある。

ライブハウスも多い。100人程度を最大規模とする、いわゆる普通のライブハウスだけで7~8軒あるし、ライブバーなども含めればその数は倍増する。こうした環境から、ミュージシャン志望の若者が数多く集まり、それに対応して練習用のスタジオなども豊富に取りそろえた高円寺。

治安はあまりよくないって?

昔はバンドを組んでロックやフォークをやっているだけで不良扱いされたものだが、やっぱり今もその風潮は残っている。というわけで、高円寺は何となく治安が悪いように見られている。それは、高円寺で「目立つ」音楽のジャンルに問題があるのかもしれない。

前述したとおり、高円寺が音楽の街として有名になったのはフォークミュージックからだ。今でこそ、フォークは「キレイ目のアコースティックサウンド」的な扱いだが、1960~70年代の全盛期は、人種差別反対、戦争反対などのメッセージを歌う反体制的なものも多かった。とくに日本でも学生運動が盛り上がったこの時代。フォークはロックとともに、政府に反抗する若者たちのシンボルでもあったのである。発売し禁止になってしまった曲は多いし、1969年には、新宿駅西口に「フォークゲリラ」が出現し、機動隊が出動するという事件もあった。

こんなフォークの居城であった高円寺。そりゃあ「危なそう」ってイメージがあったとしても不思議はない。その後、モロで反体制がウリのパンク、とにかくなんにでも噛み付きそうなハードロック、メタルなどの音楽が世界的に流行したが、こうした「危なそうな音楽」の多くが、高円寺に集合してきた。要するに、山手線圏内や吉祥寺、下北沢などの「メジャー」な場所にはいられなかった連中が、「マイナー」のメッカ高円寺に集まったのだった。

でかいビルがぜんぜんない!

高円寺の街の特徴は、デパート、スーパーなどのような、複合ショッピングモールがぜんぜんないことである。駅にはホテルの入った駅ビルがあるが、これも最近できたばかりであることに加え、ホテルがメインだからあまり地元住民が集結しそうなものではない。中核は、なんといっても巨大な商店街だ。

全国的に有名なのは「高円寺純情商店街」。これはねじめ正一の私小説「高円寺純情商店街」で一気に有名になった。でも、実は「純情商店街」という名前自体はねじめ正一の小説がヒットしてからそれにならって改名したもの。

小説「高円寺純情商店街」は、作者の少年時代をベースに書かれたハートウォーミング系の人情もの。ある種理想化された「昭和の風景」が描かれたことで、高円寺のは「古き良き人情味あふれる街」というイメージも獲得した。

純情商店街以外にも、ルック商店街、パル商店街、あづま通り商店街などなど、主なものだけで7つもある。これらが複雑に絡み合い、高円寺の街を「平面的に広く」している。高円寺は青梅街道からはかなり離れているのだが、ほとんどそこまでつながっている商店街もあるくらいだ。

「高円寺阿波踊り」も、この商店街をクローズアップさせる重要な要素だ。商店会主導で始まったこのイベントは、毎年8月下旬に行われるのだが、その動員人数は100万人規模。商店街を中心に、高円寺の商業地域を突き抜けて進むこの阿波踊りは、本家徳島県よりも規模が大きい。

音楽×若者=ビンボー?

音楽を志す若者が多く、商店街が発達した街、と言うように見られる高円寺。こうなってくると、必然的にビンボーな感じがしてくる。実際、東京23区の住宅地域の中では比較的物価の高い杉並区において、高円寺はひときわ「安い」街だ。500円前後でおなかいっぱい食わしてくれる食堂が、その象徴だろう。

また、衣料品店も多いのだが、これの中核をなすのが古着屋。高円寺の古着屋は1990年代から雑誌などで有名になっているめ、正直あまり安くはないのだが、それでも、「古着」の時点でビンボーなイメージをのがれない。

杉並区といえばエスニック系の雑貨店。などという向きもあるようだが、これまた実際高円寺には多い。というかエスニック系雑貨にかんしては、高円寺がブームの発信源の一翼を担っていた。このように書いていくと、高円寺は大変なおしゃれエリアに聞こえてくる。だが、ファッションビルもなく、エスニックやとんがった音楽を愛する若者が多いのであれば、渋谷・青山エリア、銀座・日本橋エリアなどの「一般的なおしゃれ」とは一線も二線も画したおしゃれとなる。

このように、高円寺は東京の中、というか杉並区の中でも非常に特徴的な町である。ではなぜこのような特徴を得るにいたったのだろうか。それは、この街が戦後60年以上の時間担ってきた「杉並区内での役割」にその一端がある。

参考:日本の特別地域特別編集 東京都杉並区

©2017 まちいく

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