阿佐ヶ谷が相撲の街だったなんて

阿佐ヶ谷や荻窪の街を歩いていると、よく力士を見かける。パチンコなどをしていると、ふと隣に座っていたりするのだ。しかし、多くの杉並区民はこれを珍しがりながらも「ああ、またいるね」くらいにしか思っていないが、昔はすごかった。なんと、相撲の聖地である両国とタメを張るくらいの相撲タウンであったのである。

現在、阿佐ヶ谷には「放駒部屋」という相撲部屋が一つしかない。この部屋の師匠は元大関の魁傑。彼は、輪島、初代貴乃花と並んで活躍した非常に人気の高い力士で、特に女性からの支持が熱かった。元横綱の大乃国もこの部屋の出だが現在は十両以上のいわゆる「関取」ゼロというちょっと悲しい状態だ。阿佐ヶ谷相撲界の凋落とオーバーラップして泣ける。ちょっと前までは十両はいたんだがなぁ。

魁傑が現役の力士だったころは、まだまだ阿佐ヶ谷が相撲の街として大いに活躍していたころ。輪島の花籠部屋や貴乃花の二子山部屋なでお、人気実力ともに充実した力士をそろえた部屋があり、街を歩けばスターに会えるという状態だった。

その阿佐ヶ谷に暗雲が立ち込めたのは1980年代。横綱として数々の偉業を成し遂げた輪島がこの頃名門花籠部屋の師匠(十二代花籠)になっていたが、金銭問題で破綻。当時の夫人が自殺未遂、義母にあたる先代花籠夫人は部屋の消滅後に自殺と、壮絶な廃業劇になってしまった。残った花籠部屋の力士は放駒部屋に移籍し、生え抜きの大乃国康と共に活躍したが、その後は目立った力士を育てられず、現在にいたっている。

一方、1960年代に花籠部屋から分かれ、二代目若乃花、初代貴乃花などの人気力士を輩出した二子山部屋も、合併騒動のごたごたで、結局中野新町の現貴乃花部屋に合併し、ここに阿佐ヶ谷勢は存亡の危機に達してしまったのである。

名門である花籠部屋は、1991年に復活し、現在も存続しているが、阿佐ヶ谷には無い。花籠部屋が復活した1990年代初頭は、まだバブル崩壊直後だったため、当事洒落にならないほど高騰していた杉並区内に相撲部屋を作ることなどう到底不可能。結局、資金難から用地確保に失敗し、なんと山梨県内に部屋を構えた。だが、あまりの不便さに耐えきれず、結局東京へ戻ってきたのだが、それがあろうことが両国へ。これま、阿佐ヶ谷相撲界の現在を表すエピソードというわけだ。

参考:日本の特別地域特別編集 東京都杉並区

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